西荻窪

ここで暮らし始めて早2年が経つ。

私はこの街が好きだ。

 

高校生のとき、

学校が終わったら急いで新幹線に乗り、

1人で東京へ向かった。

 

ぷしゅ、とビールの缶を開ける音。

ネクタイを緩めるおじさんの横で、窓の中の景色が、どんどん慣れ親しんだ風景から離れていくのを、ただ眺めていた。鼓動が速くなるのを抑えられずにいた。

 

オープンキャンパスに行くのが目的だった。

翌日、電車の時刻をメモした手帳を何度も確認し、やがてこの街に降り立った。

 

駅から大学までの道を歩く。

道中、何を考えていたかはよく覚えていない。

ただ、「来年、またここを歩いているかな」と何となく思った気がする。

 

オープンキャンパスからの帰り道。

大学前から吉祥寺までのバスに乗る。私と同じような子たちでバスはあっという間にぎゅうぎゅうになってしまった。かろうじておばさんの隣に座ることができた。

 

「あなたここの学生さん?

今日はすごい人ね。なにかあったの?」

 

急に話しかけられて私はどぎまぎした。

「いえ、今日はオープンキャンパスで、私は岡山から来たんです。」

 

車内は意外にも静かで、聞かれてもいない情報を伝えておきながら、まわりの人たちに田舎者と認識されたことが少し恥ずかしかった。

 

「きびだんごね。」

おばさんは微笑む。

 

上京してから分かったことだが、これは岡山出身と言って相手から返ってくる反応ランキング不動のNo.1の返しである。ちなみに第2位は「倉敷いいよね」だ。

 

気づけばまわりの目も気にせず、おばさんとの話に花を咲かせていた。東京の人は冷たいとどこかで思っていたが、全くそんなことはなかった。

 

おばさんが東京で生き抜く術を熱く語るのを、私はふんふんと聞き、しっかりと心に刻んだ。はずなのだが、今振り返ると何一つ覚えていない。ごめんよおばさん。

 

吉祥寺に停車すると、私とおばさんは握手を交わし別れた。「必ず合格してまたここに来ます」と言ったその時の私には、もう夢ができていた。

 

西荻窪にはじめて1人で降り立ったあの日。

私があの時感じた、この小さな街のふしぎな居心地の良さは今も変わらない。

 

大きなデパートも、映画館も、

スタバもミスドもない街だけど、

 

蔦の絡む古い喫茶店に

絵本屋、ケーキ屋、文房具屋。

懐かしい感じの肉屋と、

マッチョなお兄さんが働く野菜屋。

おしゃれじゃないけど、

安くて美味しい飲み屋。

やたらと多い、インド人の経営するカレー屋。

絵画のギャラリー展に、アニメスタジオ。

 

 

善福寺川は穏やかで、

川沿いに並ぶ住宅の屋根の線が、不規則な形を水面に映す。

 

餌を食べるために水中に潜ったカモが、ドナルドみたいな脚とおしりを、水面から覗かせる。

 

晴れた日なんかは、もう一つの空と雲がそこにありそうな気さえしてくる。

 

東京にいるはずなのに、

人や時間の忙しなさを忘れて

なんでもない日常の幸せを感じさせてくれる街。

 

いま、あの日と同じように私はここにいて、

そして「ここに来てよかった」と思っている。

 

私はこの街が好きだ。